感動のヒッグス粒子?
どうしても寝るのが12時をまわってしまいます。昔からそうです。
本を読んだりレコードをかけたりテレビを見たりお風呂に入ったりと、帰宅してからも結構忙しいのです。そしてそれが楽しいんです。
今日はハードディスクが満杯になったので3テラ!の外部ハードディスクを増設して、そちらに写真を移動しました。えらく時間がかかりました。
それにしても3テラなんてすごいです。ちょっと前はギガで驚いていたのに。30メガバイトのハードディスクが30万円程した時代は何だったんだろうと思います。
パソコンが高性能になって色々なことが出来るようになったことが一番の理由ですけど、人に歴史があるように、人が使うパソコンも記憶がどんどん蓄積していっています。
実際に僕のMacにはソニーのマビカというデジタルカメラの写真が残っています。フロッピーディスクに記録するカメラで130万画素でした。これが15年くらい前でしょうか。
その頃の写真やずーっと撮り続けているモノクロ写真を見て思うのですが、写真が与えてくれる喜びは、画素数や色とはあまり関係ないなということです。
念写ではないのですけど、強い思いというのは必ず写るんだとも思います。反対に無感動にシャッターを切った写真は明らかに空虚です。
実は乏しい画素の隙間に、ヒックス粒子ならぬ、感動の粒子が写っているのかもしれません。
情報量は指数関数的に膨大になっているし、これからも増え続けるでしょう。でも、できれば感動や美しいものを追いかける気持ちや優しい気持ちが埋もれないようにしたいと思います。