ちょっと悲しい話

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「どこもかしこもLEDだらけでもう見飽きたよ、チッ!」なんて乱暴に言い放ったりしてはいるのですが、実は何となく嬉しくそわそわしている僕です。

とても移動が忙しい年末なのですが、それでも楽しいことや興味あることには貪欲であり続けています。昨夜は「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」という映画を観てきました。

これを観るに至ったのは、先週仕事で会った、僕が写真を撮るのが好きなのを知っている人から「すごい写真を撮る人を見つけたんだけど、知ってる?」って聞かれたのがきっかけでした。わざわざ新聞の切り抜きまで持ってきてくれて、その場でタブレットで画像検索をしました。なかなかのストリートフォトで、これを撮った女性をテーマにした映画を観に行きたくなったんです。

写真を撮った本人(ヴィヴィアン・マイヤー)が亡くなってから、彼女が人知れず撮りためていた写真が偶然世に出て、その類い稀な優れた作品が高く評価されています。そして、その彼女は生涯独身で、住み込みの乳母をして生計を立て、発表することなくただただ写真を撮り貯めていたのだそうです。

この映画で彼女の生涯や作品を見て、彼女は写真を何のために撮っていたのかということに興味を持ちました。僕自身も取り立ててはっきりとした理由もなく写真を撮っているからで、たまに仕事になることもあるし、記録写真も撮るのですが、99%はただ撮っているだけです。

カメラメーカーとSDカードメーカーとアップルコンピューターとエプソンプリンターに魔法をかけられて、彼らに貢ぐためなのではないかという強い疑惑はあるのですが、どうもそれだけではないようです。

何となく感じているのは、人生の儚さから、その時にその場でその写真を撮った自分の存在証明なのではないかと言うことです。これってちょっと悲しい話ではないですか。