散歩で偶然写真の話をした

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近所を散歩して、少し古い建物の前で写真でも撮ろうと思って立ち止まっていたら、中からおじさんが出て来て「今日は貸し切りだから入れないよ」と教えてくれた。

玄関ホールの不気味なモニュメントを撮りたかったので、そこだけでも入っていいのか聞いたら「いいよ」とのこと。

そのおじさんは中から何やら器材を搬出して車に積み込んでいる最中で、ふとこちらを見て「ここは写真にならないよ。電線が邪魔だからね」と。確かに外を見ると電線だらけで外観写真は修正でもしない限りは電線が映り込んでしまいそうだった。

「プロならPhotoshopで何とかするんでしょ」と言ってみると、これが呼び水になったみたいで、「僕もプロだけど、そういう仕事は断るね。面倒だもの」。なるほど。

そこから写真の話になって、「ダイアン・アーバス渡辺克巳はよかったね」と。うん確かに。「でもね。一番感動するのはやっぱり記念写真だよ。記念写真は泣くもんね。もう今は無いけどそれは事実だから。写真の原点は記録だから。どんなに綺麗な写真を撮っても涙を流すような写真って少ないでしょ。」と教えてくれる。「でもさ、他人の記念写真なんて面白くないじゃないの」と言うと「うん。そりゃまそうだ」と案外素直。

話は続いて、「それに、いい写真って時代で変わっちゃうから。」確かに、僕が写真に興味を持ち始めた頃からだけでもいろいろな流行があった。商業写真なんて最たるもので、僕自身もクライアント側だった時は厳しいことを言ってダメだしをしたこともあったなあ。

でも、僕は思うのだけれど、涙したり慟哭するような写真だけがよいとは思わない。それは貴重で尊いけど、それ以外の写真があってもいいと思う。単純に「きれい」でも「汚く」てもいいし、「綺麗な人が写っている」のでもいいし、「ショッキングな事件」でもいい。それから「街の匂い」が写っている写真は個人的にすごく好きです。
Photoshop、ナンバーを消すだけでも面倒でした。確かに)