忘れら去られるものなのか

イメージ 1

テレビに接続されていたハードディスクがクラッシュしてしまいました。そこには大切な録画番組がいっぱい入っていました。接続コードを付け替えても、別のMacに付け直して見ても、振っても、叩いても、揺すっても認識すらされません。
ハードディスクには付きものの末路ですが、大切な録画がいっぱいあったので残念です。

でも翌日の今になって、別に無くなってもいいかなとも思えてきました。
僕はそこそこの量の書物やレコードを所有しています。それも無くなってしまったらそれはその時、案外そんな風に諦められるのかなと思えてきました。「未練」や「悔い」の実態って何だろうと考えてしまいます。

人間関係はどうなんだろう。
本やテレビ番組とは違うのだから、それはそれは深い悲しみや寂しさがあるはずです。でも、街の建物が空き地になりそこに何があったのか忘れ去られて行くように案外そこにどんな愛すべき人格があったのかなんて人は簡単に忘れてしまうのではないでしょうか。逆に自分が居なくなったらアッという間に忘れられてしまうのかもと思い寂しい気持ちにもなりました。

そろそろ本当に大切なものって何かが分かってもよいお年頃なのですが……。

タモリ倶楽部」と「チコちゃんに叱られる」と「にけッ」、やっぱり失ったものは大きいです。